残り香によせて
 


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思い返せば、自分や芥川にも増して、表情筋が仕事しない男だった。
自分は擬装のために人好きされよう笑顔を繕うすべを身につけていたし、
芥川くんは不愛想なだけで、
あれで自尊心が強いがゆえに実は激高しやすいタイプだったから、
その独特な価値観をおびた導火線に火が付けば、
それはあっさりと 相手を射殺さんばかりという憤怒の顔になったもの。

  その点、
  彼はそういう意味での鎧は必要とせず、
  飄々としている男であったと記憶している。

物事への関心が薄いわけでもなく、
人との関わりを徹底して厭っているようでもなく。
龍頭戦争の ある意味被害者に当たろう、幼い孤児らを引き取っていたし、
よく出入りしているという下町の商店街では
店主やおかみさんたちから気さくに声を掛けられているほどなので、
害意のない無表情だというの、判る人には判るらしく。
ありゃあ不器用なだけだろ、
へらへらと調子いいばっかの軽佻浮薄な手合いよりよほど良いさねなんて、
それは暖かく見守られていたようで。

 「……。」

港が見渡せる丘の上。
スズカケだろうか夏には程よい木陰を作ってくれた木の根元に
洋式の墓標が一基佇んでいる。
もうすっかりと夕映えも薄れ、辺りには宵の帳がひたひたと垂れ込めており。
今年はいつまでも気温が高かったせいか、秋も秋らしくなかったけれど、
それでも街路樹はすっかり色づいているし、ハラハラと舞っているものも多数。
足元へまで転がって来たらしい落ち葉をカシャリクシャリと踏みつぶし、
シャーっと軽快な音立てて自転車が掛け去ってゆく気配で、
ああもうそんな時刻かと 居眠りから覚めたかのよに周りを見回し、
外套の衣嚢に両手を突っ込んだまま、すとんと肩を落とす。
やや俯いた横顔には、笑みを浮かべているものの、何とも言えない寂しげなそれで。
柔らかそうな口許がふふと薄い笑みを浮かべたまま、静かに独り言を紡いだ。

 「こんなに時間が経ってたの、まるで気が付かなかったよ。
  そういや生前も、
  私があーだこーだ喋るばかりで、キミは相槌打つくらいだったっけねぇ。」

歴代最年少にして五大幹部の座についた青年。
出自が不明なのは今更な話で、あの鴎外がどこからか拾い上げたとも、
前の首領が拾って来たとも言われているが、今となっては詳細は不明。
誰もが身を避けるような、揮発性の高い暴れ者ではなく、
かといって、あっさり手折れるような か弱き幼子だなんて油断すると
物理的にも地位的にもあっさり息の根止められよう悪魔の子と噂されていた傾城の君。
そりゃあ愛らしい容貌で、しかも童にしては意味深な色香のようなものまとってもいたがため、
後見が首領や あるいは相談役でナンバー2と目されようあの医師でなければ、
からかい半分 ちょっかい掛けられていたっておかしくなかっただろう存在だったが。
そんな肩書を知らない者でも、
裏社会に生きるものの鼻であっさり嗅ぎ取れよう、近寄りがたい物騒な何かを感じるか、
よほどのバカでない限り 下らぬ手出しなぞ出来なかったそうで。

 誰とも距離を置き、決して自分へ踏み込ませない
 何とも不気味な、子供らしくない子供

ちょいと意味深、滅多に懐かぬと噂の子が
馴れ馴れしいほど擦り寄って来たかと思えば、
欲しい情報さえ手に入れたら もう用はないとあっさりと飛び立ってゆく。
そのような遣り口は
裏社会をうら若き身でのし上がるために必要な才であり、
非力であること、愛らしさしか武器がない女性や子供にはしようのない手管ではある。
一応はマフィアに籍を置いていて、
いい意味でも悪い意味でも周囲は大人だらけで油断がならず。
少しでも機転が利くならば、どう立ち回ればいいか幼いうちから構築していてもおかしくはない。

 だが、彼のそれはそういうのとも微妙に異なっていて

立ち去った後も長々と、逃した側に何とも言えない苦衷を残す罪な子で。
頑健でも豪放でもない、なのに凛と背条を伸ばして颯爽と立ち回る姿が何とも小憎らしい。
先代亡きあと首領となった鴎外の秘蔵っ子でありながら、だが、
そんな立場を自分からひけらかすことはなくて。
凭れるところを持たず作らず、
長じるほどに彼自身の才をもってのそれ、強かな貌を見せるようになり。
そうだと判るような鮮やか小癪な采配を振るうものだから、
認めざるを得なくて腹立たしい。
そういう周囲の空気も、彼にはあっさり判るのだろう、
自分の素性など知らないか、直接は関係性のないだろう相手と居た方が気楽だと、
完全にフリーな時間帯は、系統も所属も異なる、そちらでの外れ者らと酒を酌み交わすことが多かった。
気まぐれから行きずりの相手と面白半分に関わることもありはしたが、
立場がどんどんと上がれば上がるほど、知れぬ者なぞない存在となり果ててしまい。
それと同時、どんなに挑発的でいようと、そんな背伸びして得た前倒しのそれであろうと、
眼前に拓けてゆく先行きという将来が
対処出来る、若しくは予想の付くことしか降っては来ない、面白みのない世界ばかりなのだと悟り。
そんな世界や自分が、ただただ虚しくも息苦しくて。
誰より豊富な情報を網羅し、それらを生かせるだけの機転も応用も利いて、
鬼のように容赦のない的確な対策を幾通りも思いつけるし、
実施という面での対処だって、
例えば…人を巧妙に操り、表立つことなく如何様にも運べてしまえる。
あそこで煽って俺にやらせたのかと後から気づくだけでも大したもので、
そんな操心術までもお手の物…ではあるけれど。

 だが、それが何になるというのだ、と感じる。

何が起きようかという予想がいくらでも立って、
それへの幾百幾千もという対処も想起出来てしまえる、
尋深く底無しの知能は、だが、持ち主には退屈しか呼ばぬ。
そんな先見の明なんて緊張も興奮も呼ばず、詰まらないだけじゃあないか。
ただの駒となる人々こそがハラハラし、見えない先行きを手に汗握って見守るのであり、
絶対はない世の中だというのも判っているが、それへの感慨にしても、
9を11並べるほどもの精緻な計算の上に敷いた策であれ、
駒の不出来で失敗したのじゃあしょうがない、なんて。
それは非情な言いようで割り切れてしまう指揮官の冷静さは、上下どちらにも不幸というしかなく。

 “そうだね。そういう無能の方が人生スリリングで楽しいかも知れない。”

敵がいないじゃあなかったが、闇からの礫さえ抛れないような腰抜け揃い。
むしろ、唯一の上である鴎外や相棒の誰かさんの方が、
面倒押し付けたり、面倒くさいやりよう見せつけてくれたりしちゃあ
胸底を もやらせてくれて上等な“敵”だったかも。
そういう、時間や相手があって解決しがたい艱難への苛立ちを抱えても、

 「どんな下らないことでも聞いてくれたし、
  こっそり本音を混ぜても聞き流しててくれたよね。」

ずんと大人だった彼のことだから、
無表情で単調に 同じ相槌しか打たずとも、
そんな調子のお顔の陰で、色々と掬い取っててくれていたのかも知れぬ。
こちらからこそ、そんな彼だということを知っていればこそのことだろか、
誰にも言わずに通していた本音も、彼へはこそりとこぼしてもいたもので。
まだまだ幼く、異能の制御もとんだ稚拙さで、
そんなじゃあ到底物の役にも立たぬと、このポンコツめと言い続けた不肖の弟子に関しても。
なかなか直らぬ独断専行っぷりを危惧し、
あれは鞘の無い刀剣だから、誰かが刃の仕舞い方を教えなくてはならないとし、

 『見てなよ、彼は遠からずマフィア最強の異能力者になる』

そんな身びいきを誇らしげに零したこともあったっけ。
宵も深まり、夜気が冴えてくる街中を歩みつつ、そんなこんなをふと思う。
誰かさんの術中で踊らされ、きっと君自身も薄々それにも気づいていながら、
滅多にないほどの憤怒を抱えて、死地へと向かって行ったよね。
何でだろうか、あの時の自分は随分と愚鈍になっていて、
首領の許可なく兵を動かせないなんて随分と真っ当な判断を選んでた。
視野広く先読みが出来る身が虚しいなぞとよく言えたものだね。
あまりの突発事に総身が凍ったようになってたこと、自分で気づいていなかったのかも知れないね。
最適解が聞いて呆れる、周到で油断しないなんて誰の話か。
大事なものほど指の間からすり抜けてゆくのを留めておけない、大切なものほど守り方が下手くそで。

 “そういえば、あの子を守ってくれもしたっけね。”

表情が薄かったのは、数秒先が見えるという予見異能のせいだったのかも。
自身が切り裂かれたり銃弾を浴びよう未来を見続けるうち、いちいち驚けなくなったのかも知れぬ。
だがだが、怒ったり笑ったりもなしというのはどういう連動か。
恐持てなのに天然で、男くさい存在だのに何故だか捨て置けないところが満載で。

 素っ気ないから安心して頼れたのかも知れない。
 我を押し付けぬから凭れやすかったのかも知れない。

乞えばいくらでも助けてくれようが、それでもこちらから言わねば放っておいてくれそうで。
そういう対等に近い大人扱いが心地よくて、分け隔てのなさが小気味よくて。

 愛想笑いも堂にいった甘えようもみせつつの、
 どんな深い闇を持つ童なのだか、不気味な奴よ…という警戒もない人なのが初めてで。
 そういうところが読み切れぬまま、いっそ気楽だったのかも。

最後の最後に、ずっと抱えてた答えをくれて、彼なりの指針もくれた。
ああ君の言った方へ歩めているのかな。
まだ時々、最悪を用心して想起した方へしか動かない現実に胸の底が干上がりそうになる。
それを阻止すべく懸命にあがく敦くんを 引き留めたくなることもなくはない。けれど、

 “……敦くん、か。”

何処も重なりはしないはずなのに、どうしてかふと思いつく。
真っ直ぐな眼をした虎の少年。
嘘が下手で、騙されやすく、
自分が誰にも助けてもらえなんだからか、苦衷にある人を見過ごせなくて。
日頃の臆病さや小心さはどこへやらで、
修羅場に飛び込むと無謀の限りをやり尽くす困った子で。
そんな戦さ場で様々な覚悟を積み重ねたせいか、なかなか雄々しい顔つきになっても来たが、
それでもどうしてか、冷酷非情には無縁なままで。
一度叩き伏せられたせいか、あの芥川も一目置いてはいるようだし、

 “言ったら余計な波風立てようから言わないけれどvv”

せっかく仲良くなったのだ、そこはそのままでいてほしいとくくくと笑い、
あのバーでは出されまい、日本酒の良いのを曾ての彼から教えてもらった
隠れ家みたいな居酒屋へ足を向ける。
もうすぐ冬が来るけれど、ねえ、今の私はあの頃よりは暖かい想いで満たされているよ。
溜息は相変わらずついてるけれど、幾分素敵な日々を送っている。
胡散臭い愛想笑いより、楽しくて浮かぶ笑みも増えて来たよ。
直接の報告はまだ先かなぁと見上げた頭上に、微かに微かに星影が見えたヨコハマの夜である。




     〜 Fine 〜    18.11.08.〜11.24

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 *織田作之助さん、初書きです。(いや、ご本人は出て来てませんが)
  文豪ご本人は10月26日が生誕の日だそうで、亡くなったのは1月10日。
  でもなんか、勝手ながらそんな厳寒期という描写じゃなかった気がするので、
  命日の方を秋に持ってきてしまいましたよ、すいません。
  たまにはこんなモノローグする太宰さんも居ていいのじゃないかと。
  …の割に、妙な番外編が挟まってしまったせいでしょか、
  変にぼやけたシメになっちゃってますが すいません。(とほほん)

  そういや、円盤にあの無料配布だった小説もつくそうですね。
  嘘みたいな値がついてネットオークションサイトに出回り、
  まだ上映中なのにこの冊数はおかしい、貰えなかった館もあったのにと
  どんだけ怪しい出自かに非難轟々だったあれ。
  文ストは小説版って1冊も読んだことないのでちょっと楽しみです。